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東京高等裁判所 昭和57年(う)537号 判決 1982年8月10日

被告人 岡崎ヒデ子

昭一一・一二・一二生 無職

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人加藤康夫、同重国賀久、同山口健一が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官秋田清夫が提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意第一(事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、原判決は、被告人が信号機の信号が赤色を表示しているのを見落したまま漫然時速約一〇キロメートルで自転車を進行させ、折から横断歩道を青色信号に従い横断中の被害者石井由和(当時六九歳)に自車前部を衝突させたとの事実を認定したけれども、当時被告人は、青色信号を確認し、自転車のけんけん乗りで横断歩道に入つたのであり、スピードも殆んど出ていなかつたから、原判示のように赤色信号を見落したことも、時速約一〇キロメートルで進行したこともないし、また、被告人は、自分の自転車が被害者に衝突したことはない旨供述しているところ、被告人の自転車が直接身体に衝突した旨の被害者の原審供述は信用しがたく、当時の状況からみて被害者の自損事故もしくは他の通行人と被害者が接触した可能性もあるなど、被告人の自転車が被害者に当たつたとの事実は認められないから、原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認があると主張する。

しかし、原判決のかかげる証拠によれば、原判決摘示のように、被告人が赤色信号に違反した事実、自転車の速度が時速約一〇キロメートルであつた事実、自転車が直接被害者の身体に衝突した事実を優に認定でき、所論にかんがみ記録を精査し、当審での事実調べの結果に徴しても、原判決に所論のような誤りがあるとは考えられない。以下、右三点につき説明する。

1  信号違反について

まず、被告人が、原判示昭和五四年九月二五日午前九時五〇分ころ、浜松市旭町七〇番地先付近の歩車道の区別のある道路の車道左側端を足踏二輪自転車(いわゆるミニサイクル車)で進行し、遠州鉄道新浜松駅前の信号機により交通整理の行なわれている本件交差点をほぼ北方の板屋町方面からほぼ南方の鍛冶町方面に向かい直進しようとして、右自転車の左側ペダルに左足をのせ、右足で地面を蹴つて進む、いわゆるけんけん乗りで右交差点北側直近の横断歩道内に進入したこと、そのさい右横断歩道上を東側の新浜松駅側歩道から西側の遠鉄トラベル方向に向けて横断中の被害者(当時六九歳の女性)が転倒し、原判示加療約六か月間を要する左大腿骨頸部骨折、左足関節挫傷の傷害を負つたことについては、被告人もほぼ認めており、証拠上も疑いがない。

被告人は、原審第六回公判において、本件交差点の手前で停止していたバスの後方に一旦停止し、次いで動き出したバスに続きけんけん乗りで本件横断歩道内へ進むとき、対面信号を確認すると青色であつた旨、また、原審第七回公判においては、横断歩道の中に入るときは信号を見ていないが、自転車のペダルに足をかけて渡るときには見ており、その地点は、司法警察員内山昭三作成の昭和五五年五月一九日付実況見分調書(以下、「五月一九日付実況見分調書」ともいう)添付現場見取図の<2>点付近(本件横断歩道の約四・二メートル手前にある停止線付近の同図<3>点よりも約三・一メートル手前の地点)である旨供述し、右実況見分での指示説明や同じ日に行なわれた司法警察員の取調べのさいも同様に右<2>点で青色信号を確認した旨供述している(証拠略)によると、右<2>点では自転車を引いており、その先の<3>点でけんけん乗りを始めたという)。

これに対し、被害者は、原審で証人として調べられたさい、本件横断歩道を渡るときは、一旦赤色信号のため信号待ちをし、信号が青色に変わつたのを自分で確認し、他の人らと一緒に渡り始めたところ、本件事故にあつた旨供述するのであつて、(証拠略)両者の供述は対立している。

しかし、原審証人伊藤江利子の供述によれば、同女は、被害者と同じ方向に向けて本件横断歩道を横断しようとしたが、赤色信号のため一〇名位の人とともに約二〇秒間位信号待ちし、その後歩行者用信号が青色になつたので他の人と一緒に横断を始めると、左後方から悲鳴があがり、振り返つてみると、被害者が倒れており、その近くでけんけんをするような格好をして体勢を崩した被告人が自転車から飛び降りるようにしていた、その後その被害者を他の女の人と一緒に近くのベンチに運んだというのであり、また、原審証人佐野順子の供述によると、同女は、被害者と逆の前示遠鉄トラベルの方から横断しようとしたところ、信号が赤色であつたので、やはり若干待つたのち、青色に信号が変わつてから他の一〇名前後の人達と一緒に横断を始めたところ、被害者が本件横断歩道の東の隅に転倒しているのを見て、近くのベンチに運んだというのであつて、この両名の供述は、いずれも、当時信号が青色に変わつたので横断を始めた経緯について具体的に、かつ、断定的に供述するうえ、通行中たまたま本件に遭遇したものであり、被告人、被害者とも全く利害関係がなく、ことさら被告人に不利益に虚偽を述べなければならないような事情は窺えないこと(むしろ、被告人は、本件事故後、右伊藤に対し謝礼するなどして接触している事情がある)などに徴すると、この両名の供述は十分に信用することができると認められる。そして、被害者の前示供述は、それ自体特に信用性に乏しいことを窺わせよるような事情もなく、右伊藤供述により十分に裏付けられているから、信用することができると認められ、これらと他の関係証拠をも総合すると、被告人が自転車で本件横断歩道に進入したさいは、被告人の対面信号は赤色を表示しており、横断歩道の歩行者用信号は青色を表示していたことを認めるに十分である(右伊藤供述によると、信号待ちしていた歩行者約一〇名が、青色信号とともに一団となつて渡り始めたことが窺われるから、その集団の前後間に若干の距離が存在するのは当然であるし、被害者の年齢や後記のような身体の状況にかんがみると被害者が右集団の中で比較的後方に位置していたとしても何ら不自然ではない)。

所論は、伊藤が横断を始める前、すなわち、同人が歩道上にいて歩行者用信号が赤色の時に本件が発生したものであり、また、昭和五四年九月二六日付実況見分調書(以下、「九月二六日付実況見分調書」ともいう)には、被告人が指示説明もしていないのに、これが記載されているなどの虚偽があつたり、作成日付を遡つて作成された疑いが強いと主張する。しかし、伊藤の証言の趣旨が、横断歩道上を歩いている時に本件が発生したというものであることは明白であり、右実況見分調書中の同人の指示説明内容が正しいことも同人の証言に照らし明らかである。また、当時の本件交差点の信号設置状況は、司法警察員作成の昭和五四年一二月一四日付信号現示捜査報告書添付の同日付交通部交通規制課長回答の信号周期現示についての見取図(以下「信号周期現示見取図」という)のとおりであるところ、(証拠略)には、旧国鉄浜松駅らしき建物が存在するとともに、右信号周期現示見取図と同様の信号機の設置状況が写つていること(本件横断歩道の歩行者用信号機は横断歩道の北側に設置され、被告人の進路からみて手前の対面信号機には信号機支柱の左右両側に信号が設置され、また遠方の対面信号機も写つている)、(証拠略)には、前記旧国鉄浜松駅らしき建物が取り壊されて存在しないものの、やはり前示信号周期現示見取図と同様の信号設置状況が写つていること、(証拠略)によると、本件交差点の信号設置状況は、昭和五一年四月一日と昭和五五年三月三日の二度変更され、各期間の信号設置図三枚も添付されているが、本件横断歩道の歩行者用信号の設置場所及び被告人の進路からみた二つの対面信号の設置状況については、昭和五一年四月一日以降昭和五五年三月二日までの設置図とそれ以降の設置図とでは取りたてるほどの差異がなく、これらは前示信号周期現示見取図の設置状況及び前示各写真の状況とも一成しているうえ、昭和五一年三月三一日以前の設置図による状況は、前示昭和五四年九月二六日付及び昭和五五年五月一九日付各実況見分調書に添付された各現場見取図(この二つの現場見取図は同じ図面を利用して記入されている)の設置状況と相応していること(本件横断歩道の西側歩行者用信号は横断歩道の南側に設置され、被告人の対面信号の手前のものは、信号機支柱の右側だけに設置されている。なお、(証拠略)では、本件横断歩道付近以外の信号機の記載はないが、図面上信号機の設置場所付近と思われるところに丸印が示されているから、それらの信号機は本件に直接関係のないものとして記入が省略されたことが窺える)などの事情を総合すると、右実況見分調書の各現場見取図は、いずれも前記昭和五一年三月三一日以前の古い信号機設置図を基本として作図された図面を利用していることが明らかであり、したがつて、これらの現場見取図中の信号設置状況は各実況見分当時の状況と合致していないけれども、それはたまたま古い図面を使用したために生じたものと推認しうるのであつて、原審証人内山昭三の供述にも徴すると、所論のように、実況見分が昭和五五年三月以降に行なわれたのに、その調書の作成年月日を遡らせて昭和五四年九月二六日付にしたのではないかと疑う余地はないといわなければならない。

また、被告人の対面信号の黄色表示時間は三秒間であり、そのあと本件横断歩道の歩行者用信号が青色に変わるまでの間は全赤の状態が三秒間続くこと(証拠略)、前示<2>点から本件横断歩道までは約七・三メートルであること、後記認定のようにけんけん乗りによる被告人の自転車の速度が時速約一〇キロメートル(秒速約三メートル)であることなどに徴すると、被告人がけんけん乗り開始の右<2>点付近において青色信号を見たとして、本件横断歩道内に進入するまでの間に信号が黄色を経て赤色に変化した可能性は極めて乏しく、そもそも右<2>点で信号を確認したさい自転車を引いていたのか、けんけん乗りを始めたのか、捜査供述と原審供述とではくい違つていることなども考慮すると、青色信号を確認した旨の被告人の原審供述は到底信用しがたく、被告人は対面信号が赤色を表示しているのを見落したものと認められる。なお、被告人の捜査供述、すなわち、前示<2>点で青色信号を確認し、自転車を引いて<3>点まで歩き((証拠略)では、<3>点で一時停止したという)、<3>点からけんけん乗りで進んだとすると、その間に信号が黄色を経て赤色に変化していた可能性も否定できないけれども、そうとすれば、信号確認後相当の秒数を経過したのに横断歩道に進入する直前では信号を確認していないことになるから、いずれにしても、横断歩道進入のさい、被告人が赤色信号を見落したことには変わりがない。信号表示について事実誤認をいう所論は失当である。

2  自転車の速度について

所論は、被告人は自転車のけんけん乗りをしていたうえ、前記<3>点からけんけん乗りを始めたものであり、横断歩道にさしかかつたころにはほとんどスピードは出ていなかつたはずであるから、原判示のように時速約一〇キロメートルも出ていないと主張する。

しかし、被告人の原審公判での供述は、けんけん乗りを始めた地点は、前示のように<3>点(横断歩道の約四・二メートル手前)ではなく前示<2>点(<3>点よりも約三・一メートル手前)であると述べていると思われ、したがつて被告人の供述によつても本件横断歩道まで数メートルけんけん乗りしたものであること、自転車が普通に走行する速度が時速約一七キロメートル、自転車がゆつくり走る速度が時速約一一キロメートル、人が普通に歩く速さが約四・三キロメートルであるところ(証拠略)、自転車のけんけん乗りの速度は右自転車がゆつくり走る速度と同じ程度かそれよりも若干遅い程度であり、歩行者の普通の速度よりははるかに速いと推定しうるから、本件交差点に進入するさいの被告人の自転車の速度が時速約一〇キロメートルであるとした原判決の認定が不合理であるとはいえず、十分に肯認することができる。

3  自転車と被害者との衝突の有無について

この点について、被害者は、原審で証人として尋問されたさい、青色信号になつて横断しはじめたところ、右側から突つ込んできた感じの女の人の自転車の輪が右足に、固いものが右横腹にぶつかり、左に転んだ、その女の人は、「大丈夫ですか、ごめんなさい、勘忍して下さい」などといいながら泣いていた旨供述しているのに対し、被告人は、原審公判において、けんけん乗りで本件横断歩道に入つたさい、左肩のうしろの方が人にぶつかり、相手の人と自分が悲鳴を出し、うしろを振り向くとワンピースの黄色ぽい色(あるいは、赤色ぽい色であつたという)がちらつと目に入り、自転車の手を放したので自転車が倒れた、七、八名人だかりがしていたので、肩に触れた人が倒れていると思い、「すみません、すみません」といつて近づいて見ると、倒れている人は黒い洋服を着たおばあさんだつたので、肩に触れた人とは違うと思つた、当日は病院でも被害者に対し「すみません」といつたが、警察官には、自転車が当たつていないといつた、翌日病院で被害者の家族から、「あんただけで問題がすむようなことじやない」といわれ、自分が直接被害者に当たつていないと述べた旨供述し、この点においても双方の供述は対立している。

なるほど、前記伊藤、佐野は、被害者が転倒した後の状況を目撃したのであつて、被害者の右供述以外には、被告人の自転車と被害者の身体が接触ないし衝突した点についての直接の証拠は存在しない。

しかし、関係証拠によると、伊藤は、前示のように悲鳴を聞いて振り返つたさい、倒れた被害者の近くで体勢を崩した被告人が自転車から飛び降りるようにするのを見ており、その後被告人は被害者に対し「大丈夫ですか、ごめんなさい、ごめんなさい」といい、その後もしきりに謝つていたこと(証拠略)、また佐野も、本件直後、女の人が被害者に対し、おろおろして、「おばあさん、ごめんなさい」、「私が悪いので全部責任とります」などといつているのを聞いていること(証拠略)が明らかであり、被告人が本件事故直後には被害者の転倒について無条件に自己の責任を認める言動をしていたことが認められるうえ、本件事故直後現場近くからかけつけた警察官山口正春に対しても、被告人は、けんけん乗りできて自転車が被害者に衝突したといつており、「私はどうしたらよいか」と聞いていたこと(証拠略)、また無線指令によりかけつけた警察官内山昭三に対しても、被告人は、被害者に衝突した、銀行に行くため気をとられて肩がぶつかるまで気がつかなかつた旨述べており、実況見分後も、「お巡さん、私はどうしたらよいのですか」などといつていたが、翌日になつて、被害者の家族から「いいわ、いいわではすまされない」といわれたらしく、被害者には当たつたことはない旨いい出したこと(証拠略)、前示のように伊藤、被害者らが横断をはじめたとき、一〇名前後の人が一団となつていたものと思われるものの、事故当時現場において、被告人の自転車あるいは被告人の身体が被害者以外の第三者に当たり、さらにその者が被害者に衝突したのだとすれば、そのことは当然周囲の歩行者らにも察知できたはずであり、またその者は、直接自分に責任があるわけでもなく、やはり現場に残つて事後処理に加わると思われるのに、前記伊藤、山口の各供述によつても、本件事故のさいそのような気配があつたことを窺わせるような事情は存在せず、またそのような第三者もいなかつたこと、被害者自身の自損事故の可能性も、前示伊藤の目撃した事故直後の状況やその後の被告人、被害者の言動等に照らし、極めて乏しいことなどの事情が指摘できる。

また、被害者の供述については、受傷当時の状況、特に青色信号になるのを待つて横断を始めた点や被告人が被害者に対し「ごめんなさい」などといつて謝つていた点(被告人は、「すみません」といつた旨強調し、「ごめんなさい」とはいわなかつたとも供述している)が第三者である前示伊藤、佐野の供述と合致しているうえ、自転車に当てられたことが確実である旨明確に断定し、この点は被害当日から一貫していること(証拠略)、被害者は、検察官に対し、「右腰あたりに自転車の前輪あたりがぶつかつた」旨供述していたことがあるけれども(証拠略)、突然横から自転車に当てられたものとすると、その衝突部分につき正確な記憶がないとしても必ずしも不自然、不合理とはいえないし、右供述部分の趣旨が、同人の原審供述中の「輪が右側の足に当たつた」旨の供述と必ずしも矛盾するものとも思われず(タイヤの上方部分が被害者の腰付近に当たつたとすれば、タイヤの下方部分は当然足付近にあることにもなる)、受傷後の年月の経過(原審での証言は、本件事故の約一年九か月後)をも合わせ考えると、衝突個所につき若干の相違点があつても、特に異とするには足りず、所論のように被害者の供述の重要な点で虚偽があるとはいえないこと、自転車の速度が時速一〇キロメートル程度であれば、被害者の身体の衝突部分に何らかの損傷ができるとは限らないし、また被害者が被告人の自転車について突つ込んできた感じを抱いたとしても、被害者にとつて不意の事態であつたから、所論のように誇張された供述であるともいいがたいこと、所論のように、当時コルセツトを着装していなかつたとの被害者の供述部分が虚偽であるとは断定しがたいこと(証拠略)によつても、被害者が本件で入院した当時、コルセツトを着用していたかどうかについては、入院先の池谷外科医院医師の話では、確かな記憶はないが、多分着用していなかつたように思うという程度にすぎないのに対し、原審第五回公判での証人石井栄子の供述は、被害者から当時コルセツトを着装していたときいており、本件で入院したベツドの処にコルセツトがあつた旨の具体的なものである)、被害者は勿論、その息子の石井歳兼の妻石井栄子も被害者に腰痛があつた旨原審で供述していたし、石井歳兼も、原審で、被害者はその日尿道炎で病院に行く途中であつたとか、背中が痛いと聞いていたとか供述しているのであつて、所論のように、被害者側がことさら家族ぐるみで被害者の病気隠しをしていたともいいがたいことなどの事情が認められる。

これに対し、前示被告人の原審供述については、自分の肩付近に人がぶつかつたとの部分に関する限り、本件当日から供述していたもので一貫性があるとはいえ、前示のように、肝腎の信号見落しの点で明らかに虚偽を述べたり、けんけん乗りを始めた地点があいまいであるなど、全体としての信用性に問題があるといわざるをえないうえ、例えば、前記五月一九日付実況見分調書添付現場見取図の<×>点において自分の肩のうしろの部分が人にぶつかり、後方を振り返つてみたらワンピースの色が目に入つた旨いうけれども(証拠略)、自転車で前方に向けて進行しているのに、なぜ肩のうしろの部分が人に接触したのか不可解であるし、振り返つたのであるから、ぶつかつた人は後方にいたと思われるのに、なぜ被告人の進路前方左側の位置にあたる同図面の<ア>点付近に倒れている人が自分の肩にぶつかつた人と思い込んだのか不合理であつて理解に苦しむこと(この点につき、被告人は、同公判で、うしろで悲鳴がして前へ行つて倒れたと思う旨述べているけれども、やはり不合理である)、右ワンピースの色についても、倒れていた人の服の色との相違もはつきり指摘できるほどであつたのに、原審第六回公判で黄色ぽい色といつていたのを第七回公判では赤色ぽい色で渋いような感じだつた旨供述を変化させていること、事故当日の実況見分のさい被告人も指示説明したことは、九月二六日付実況見分調書中に被告人の指示説明として「左肩にシヨツクを感じた地点<×>(衝突地点)」との記載があることからみて否定しがたい事実であるのに、被告人はそのような指示説明をしたことまでも否定していること、五月一九日付の実況見分調書の作成過程には何らの問題もなく、同調書中の被告人の指示説明は、被告人の指示どおりに記載されていると思われるのに、被告人は原審公判において、その指示した場所(例えば、肩に触れた地点、自転車の転倒地点、被害者の転倒地点)についてすらこれをほとんど訂正していること、被害者を道路わきのベンチに横にしたさい、「ごめんなさい」とは謝まらなかつたし、「責任を持ちます」ともいわなかつたし、「私が悪かつた」とはいかなる場所でもいつていない旨被告人はいうけれども、これらは明らかに前示伊藤、佐野供述に反していることなどの諸点が指摘できるのであり、被告人の原審供述には、他の証拠内容に反したり、不合理、不自然、あいまいで、前後矛盾的な部分が目立つといわなければならない。

以上によれば、被告人の原審供述には疑問点が多くて到底そのまま信用できないのに対し、被害者の供述は、その信用性に特に問題がなく、前示のような本件事故発生時の被害者や被告人の行動内容、現場の状況、その後の被告人の言動等に徴しても、十分にこれを信用することができると考えられる。そして、これによれば、被告人の自転車が直接被害者の身体に衝突した事実を認めるに十分である。なお、被害者の身体が自転車と衝突したさい、その身体がバランスを失つて、さらに被告人の肩付近に触れた可能性も全くないとはいい切れないから(被害者は、一瞬の衝突であるから最初の自転車との接触の印象だけが強く残り、その直後の転倒に至る過程での被告人の左肩との接触の点が記憶に残つていないとしても格別不自然でもない)、単に左肩に人がぶつかつたとの被告人の捜査供述も、右の限度では意味をもち、その信用性を否定するのは相当ではないと思われる。

そうすると、原判決には、所論指摘の三点に関し、事実誤認がないから、論旨は理由がない。

二  控訴趣意第二の一(理由不備の論旨)について

所論は、要するに、原判決には重過失を認定した根拠(前提)となるべき事実ないし具体的状況が判示されていないから、理由を備えた判決といえず、原判決には理由不備があると主張する。

しかし、原判決は、「罪となるべき事実」欄において、本件交差点の状況等に触れたうえで、被告人が、信号機の信号に従うのは勿論、前方左右を注視し、特に、横断歩道付近の歩行者の動静を十分注視して安全を確認すべき注意義務を怠り、先を急ぐあまり対面する信号機の信号が赤色を表示しているのを見落したまま、漫然時速約一〇キロメートルでけんけん乗りで進行したとの事実を摘示し、これが重大な過失にあたると説示しているのであり、原判決は、重過失の根拠となるべき具体的事実を記載していると考えられるから、原判決には所論のような理由不備はない。論旨は理由がない。

三  控訴趣意第二の二、三(事実誤認及び法令適用の誤りの論旨)について

所論は、要するに、被告人がけんけん乗りの自転車で横断歩道内に進入した行為は、定型的にみても、また本件の具体的事情に即しても危険性の低い行為であり、通常の過失と認めるべきであるのに、原判決が、これを重大な注意義務違反、すなわち、重大な過失であると認定、判断したのは、事実を誤認し、法令の適用を誤つたもので、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであると主張する。

そこで検討すると、刑法二〇九条、二一〇条が通常の過失により死傷の結果を発生させた場合の規定であるのに対し、同法二一一条後段は重大な過失により右と同じ死傷の結果を発生させた場合に前二条に比し刑を加重する規定であり、右にいう重大な過失とは、注意義務違反の程度が著しい場合、すなわち、わずかな注意を払うことにより結果の発生を容易に回避しえたのに、これを怠つて結果を発生させた場合をいい、その要件として、発生した結果が重大であることあるいは結果の発生すべき可能性が大であつたことは必ずしも必要としないと解するのが相当である。

これを本件についてみると、前示認定のように、被告人は、車道上を時速約一〇キロメートルの速度で自転車をけんけん乗りで走行させ、交差点で信号待ちしていた約一〇名の歩行者が青色信号に従い一団となつて横断歩道内を歩行し始めたところへ、赤色信号を見落し、歩行者との安全を何ら確認することなく、そのまま突込み、その結果当時六九歳の老女に自車前部を衝突させて路上に転倒させ、加療約六か月間を要する傷害を負わせたのであり、本件では、証拠上、被告人が自己の対面信号を確認するに何らの支障もなかつたところ、信号機による交通整理の行なわれている交差点ないしその直近の横断歩道内に進入するさい信号機の表示に従わなければ事故に至るべきことは当然のことであり、被告人は、わずかの注意を用いることにより赤色信号を確認しえたのは勿論、それを確認しておれば、直ちに停止措置を講ずるなどして横断中の歩行者との衝突も十分に回避しえたと認められるから、被告人に重大な過失のあつたことは明らかである。

所論は、けんけん乗りの自転車で横断歩道内に進入することは危険性の低い行為であるというけれども、前示のように、発生した結果が重大であること、あるいは結果の発生すべき可能性が大であつたことは、重過失の成否に関係のないところであるのみならず、本件において、発生した結果、すなわち被害者の傷害は加療六か月を要する左大腿骨頸部骨折等の重傷であり、またたとえけんけん乗りとはいえ、赤色信号を無視し、一〇名余の歩行者が一団となつて横断を始めた横断歩道内に自転車を突つ込めば、その速度が時速一〇キロメートル程度ではあつても、歩行者と衝突し傷害を負わせる可能性も大であつたのであるから、被告人の本件行為の危険性が低いとする所論は到底採用することができない。

さらに、所論は、本件では、事実に相違して被告人が重過失に仕立て上げられたようにも主張するけれども、警察は本件事故当日現場路上及び加害自転車の状況等について実況見分を実施し、そのさい目撃者伊藤江利子、被疑者として被告人を立ち合わせて指示説明させていることが明らかであつて、警察が当初本件の立件を予定していなかつたともいいがたいし、前示のように昭和五五年三月以降実施された実況見分につき調書の作成日付を遡つて虚偽を記載した事情も認められないから(なお、昭和五四年九月二六日付実況見分調書中の「本件事故当時車両が付近路上に放置されていた」との記載は、正確ではないけれども、これは勘違いによる単なる誤りと思われ、この点が所論にいう重過失に仕立て上げたことに結びつくとは到底考えられない)、証拠に照らし右所論は単なる推測にすぎないと考えられる。

以上、原判決には重過失について所論のような事実誤認及び法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

四  職権による量刑判断

職権により原判決の量刑について調査すると、本件は、右のように赤色信号を見落して横断歩道内に自転車を突つ込んだ重大な過失により、横断歩行中の被害者に自車を衝突させて路上に転倒させ、加療約六か月間を要する左大腿骨頸部骨折、左足関節挫傷の傷害を負わせたという事案であり、過失が重大であることはもとより、発生した結果も相当重かつたこと、被告人の反省の態度が顕著であるともいいがたいこと、被害者との間で示談も成立していないことなどに徴すると、被告人の刑事責任が軽微であるとはいいがたく、原判決が執行猶予を付しながらも被告人を禁錮六月に処したのも理解できないではない。しかし、当時被害者は、六九歳の老人であつたうえ、以前より陳旧性第一腰椎圧迫骨折と変型性脊椎症により継続的に通院治療を受け、腰椎用軟状コルセツトの着装を要するという腰部が極めて脆弱な状態にあつたから、被告人の行為と被害者の受傷間の因果関係は否定できないにしても、被害者のこのような特殊な状態がたまたま加療約六か月間を要する結果に結びついた可能性が強く、このような被害者側の事情は、被告人の刑事責任を考えるうえで無視しえないこと、被告人は極く普通の家庭の主婦であり、前科前歴もなく、本件当日はマイホーム資金を送金するため自転車で銀行に赴く途中、気がせき、たまたま注意義務を怠つたもので、一過性の犯行であることなどの事情も認められるところであり、これらにかんがみれば、被告人を禁錮刑に処するのは酷にすぎると考えられ、被告人に対しては罰金刑を科すにとどめるのが相当である。原判決の量刑は重すぎて不当であり、この点において破棄を免れない。

五  そこで、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、次のとおり自判する。

原判決が認定した事実に法令を適用すると、被告人の原判示所為は刑法二一一条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一五万円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 船田三雄 櫛淵理 中西武夫)

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